ケチな人と、気前のいい人と、どちらと付き合いたいかと聞かれると、ほとんどの人は、気前のいい人だと答えるものだと思います。

ただ、実際のところ、自分が気前のいい人間になろうと思っても、損得を考えると、なかなか、そうなれないのが現実だと思います。

人間だれしも、自分が損をすると分かっていると、それを、避けたいと思うのが普通で、損をしたくないという気持ちを持ちつつ、人に何かを与えらるというのは、なかなか、難しいものです。

もちろん、それでも、世の中には、気前のいい人はいるので、そういう人が特別なのかというと、実は、そういう人でも、損得を考えて行動しているけど、損得の基準が人とは違うだけなのかも知れません。

特別な人間だからではない…「若いと驚かれる人」が無意識にやっている”脳にいい習慣”

仏教には、自利利他という言葉がありますが、気前のいい人というのは、人のために何かをすることで、自分自身も得をしている人なのだと思います。

自分が好きなことで、人に喜んでもらえるというのは、なかなか、理想的なことですが、気前のいい人は、無意識で、それができる人なのだと思います。

自分の好きなことを人にする行為は、相手から、見返りを期待する必要がなく、それ自体を楽しめるので、その時点で、自分自身にメリットがあるのですが、それをしてもらった人は、お返しをしたいという気持ちになるので、結局のところ、その人には、与えるもの以上のものが返ってきます。

見返りを求めずに、人に与えるという行為も、それ自体を楽しめるのなら、その人にとっては、得になる行為で、それができるが故に、周りの人は、その人にお返ししたいと思うものだと思います。

いつも、元気な人がいますが、たいてい、そういう人は、自分自身で、楽しみながら、無意識に人に与えているので、逆に、人からも元気を貰えるからだと思います。

人に何かをしてあげて、それを喜びに変えられるというと、特別な人のようにも思いますが、人間は、そもそも、利他的な行為をすることが喜びだと感じられる生き物です。

実際に、ボランティアなどに、参加してみると、人に感謝されるので、それ自体が報酬となって、続けているという人も多いようです。

好きなことで、人に喜んでもらうというと、なかなか、ハードルが高く感じてしまいますが、自分が好きなことを知識として、人に伝えることでも、人に喜んでもらえるものだし、趣味の延長で、人に何かをしてあげるということでも、十分だと思います。

自分が好きでしょうがないという趣味を持っているような人は、その人がそれについて、熱く語ること自体が面白かったりもするので、それも、ある意味、利他的な行為だと言えます。

ただ、自分が好きなことをしているだけなのに、周りの人から感謝されるというのは、多くの人にとって、うらやましいことのようにも思いますが、自分が見返りを求めずに、人に何かをしてあげると、意外と、簡単なことでも、人から感謝をされるものだと思います。

個人的には、料理は、人にしてあげる行為の中でも、すぐに、相手から、フィードバックが得られるので、結構、おすすめです。

もちろん、料理にも向き不向きがあるので、料理が嫌いな人が、無理して料理をしても、人に喜んでもらえないとは思いますが、料理は、趣味として持つと、色々と、幅広く楽しめるので、自分自身でも、時間をかけて楽しめるのがいいところだと思います。

上手く、料理ができれば、それを自分が食べた時点で、自分自身の満足度が得られるので、人から、喜んでもらわなくても、自分は得をしているのですが、おいしい料理を食べれば、たいていの人は、うれしいと思うものなので、料理を上手く作るという満足感プラス人から喜んでもらえるという二重の喜びが得られます。

何か、特別なことでなくても、人は、何かをしてもらえれば、ありがたいと思ったり、うれしいと思う生き物だと思います。

ただ、はじめから、相手に、見返りを期待して、相手に、何かを与えるという行為は、それが相手にも伝わってしまったり、相手から、何も、返って来なかったときに、ネガティブな気分になってしまうこともあるので、相手から、何も返って来なくても、自分自身が楽しめることだというのは、重要だと思います。

最近は、趣味を副業にする人も増えていますが、上手くいくほど、それをすること自体が楽しいと思っている人なのだと思います。

利他的な人が得をするというのは、自分が好きなことで、人のためにもなっているからで、逆に、利他的な人ほど、自分自身が利他的な行為をしていると思っていないものかも知れません。

一日一善という言葉がありますが、いい行為を続けるのは、それ自体が自分自身の満足感にもつながるので、簡単なことでもいいので、見返りを期待せずに人のために、何かをしてみると、楽しい人生につながるものだと思います。