インターネットの発達により、CDが売れない時代ですが、それとは対照的に、レコードやカセットテープが密かに人気になっているようです。

レコードの人気は、音楽が簡単に手に入る時代になったことにより、より質の高い物を求める人が増えているからだと思いますが、カセットテープの場合は、もともと、それを知らない若い世代が、珍しさから使う場合が多いようです。

もちろん、珍しいというだけの理由ではなく、カセットテープのアナログでレトロな感覚が、新しいものとして受け入れられているのが大きな要因です。

今の時代、音楽は、スポティファイなどのアプリを使えば、ほぼ、無料で無限に聴けるようになったので、昔ほど価値を感じられなくなっているように思いますが、逆に、カセットテープのように、劣化もする有限な物として所有するのは、音楽の有限性を楽しみつつ、自分だけの価値として楽しめるのが魅力だと思います。

今は、便利なアプリがあるので、好きな音楽を自分の音楽リストにまとめたりと、いつでも、自分の好きな音楽を聴くことができますが、あえて、アナログなテープに好きな音楽を編集して録音する作業は、この時代だからこそ、面白いと思えることかも知れません。

常に、ネットで人と繋がっている分、逆に、自分の趣味の世界を楽しむのが難しい時代とも言えますが(最近の若者は、繋がり過ぎているので、当たり障りのない会話しかできないという弊害があるようです)、カセットテープの中には、自分だけの世界があり、それを共有できる仲間とだけ、テープの交換などをすれば、お互いの趣味を深め合うという楽しみ方もできます。

カセットテープのように、限られた人しか使わないものは、逆に、その趣味を楽しむには、いいツールだと言えるかも知れません。

デジタルな世界は、情報を無限に消費できるようになった反面、その手軽さから、情報に対する価値を感じられなくなっているのも事実です。

一部の人に、インスタントカメラやポラロイドカメラが人気なのも、同じ理由なのだと思います。

デジカメの登場以来、写真は、いくらでもデータとして保存できるようになりましたが、スマホの登場は、さらに、それを加速させて、写真を撮ること自体に、大きな価値を感じる人はいないように思います。

写真は、それを撮ることよりも、SNSで他人と共有するという目的のほうが大きく、それ自体に、価値を感じる人は少ないように思いますが、インスタントカメラやアナログカメラを使えば、フィルムの有限性と現像してみないとどんな写真が撮れているのかわからないというわくわく感は、逆に、今の時代においては、新鮮に感じられます。

有限性は、そこに限りがあるからこそ、一つ一つの意味や価値を大きく感じられるものだと思いますが、若い世代ほど、そこに、価値を感じる人が増えているのは、デジタルな時代ならではだと思います。

アナログなカメラは、写真の枚数が限られていて、できるだけ、無駄な写真を撮りたくないという心理が働くので、いい写真を吟味して撮るという体験ができるという楽しさがあります。

その価値観は、ただ単に、古い物やアナログな物が珍しいからという理由ではなく、簡単に手に入る物が増えれば増えるほど、限りあるものにこそ、価値を感じるということなのだと思います。

良い物を長く使うという価値観は、昔からあるように思いますが、ここ数年は、特に、そういう価値観を持つ人が増えているように思います。

それは、情報が増えたことが、一番の要因だと思いますが、情報にあふれた時代は、相対的に、物に対する欲望が減り、自分の価値観に合ったものを選ぶ人が増えているのだと思います。

安い物を買おうと思えば、いくらでも手に入る時代になったことは、逆に、自分の価値観に合う物は、それを所有すること自体に、大きな価値があり、多少高くても、長く使うことには、とても、意味があります。

『ニュータイプの時代』の著者である山口周さんは、今は、便利なものから、意味のある物へと価値が移っているのだと言っていますが、それは、一人ひとりの価値観を大事にする時代になったことであり、自分の内面性を豊かにする物に、価値を感じるということだと思います。

内面性を豊かにするというと、宗教的にも思えますが、単純に、自分が感覚的に、それが好きだと感じるものや、それを所有することで、豊かな気持ちになれるものというのは、一人ひとり持っているように思います。

最近、金継ぎという昔ながらの日本の技術が、一部の外国人に、ブームなようですが、かけた茶碗や皿などの陶器を漆で修復して、そこに、金などで、装飾することで、新たに価値を生むという技法です。

それは、外国の人からすると、仕上がりの美しさと共に、物を大切に使うという日本人の精神性を感じられるのも含めて魅力のようですが、外側から見た魅力は、日本人にとって、自分たちの文化を再発見して誇りを持つという意味でも、とても、勉強になります。

元々、古いものを大切に使うというのは、日本人には、とても、相性のいいものだと思いますが、物と情報があふれた時代には、自分自身の価値観に立ち返って、本当に良いと思える物を長く使うことで、より、豊かな生活を楽しめるのではと思います。